2007年08月05日
皿屋敷
姫路城は壮大でとっても綺麗で世界に誇れる建築物だと思います。
お城祭りの今日姫路に出向いて見ました。
色々な所に出店が出ていてとっても楽しい雰囲気の上にいたるところでよさこいの踊りが披露されていてとっても楽しい雰囲気になっていました。まさに姫路のお城を中心に真夏の競演といった感じがありました。

姫路城と言えば「お菊井戸」があります。皆さんもご存知だと思いますが姫路市の十二所神社に伝わる「播州皿屋敷実録」が原型とされる。
永正年間(つまり現在の姫路城が出来る前)、姫路城第9代城主小寺則職の家臣青山鉄山が主家乗っ取りを企てていたが、これを衣笠元信なる忠臣が察知、自分の妾だったお菊という女性を鉄山の家の女中にし鉄山の計略を探らせ、増位山の花見の席で毒殺しようとしていることを突き止め、その花見の席に切り込み、則職を救出、家島に隠れさせ再起を図る。乗っ取りに失敗した鉄山は家中に、密告者がいたとにらみ、家来の町坪弾四朗に調査するように命令した。程なく弾四朗は密告者がお菊であったことを突き止め、以前からお菊のことが好きだった弾四朗は妾になれと言い寄ったがお菊は拒否した。その態度に立腹した弾四朗は、お菊が管理を委任されていた10枚揃えないと意味のない家宝の毒消しの皿のうちの一枚をわざと隠してお菊にその因縁を付け、とうとう責め殺して古井戸に死体を捨てた。以来その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえたという。やがて衣笠元信達小寺の家臣によって鉄山一味は討たれ、姫路城は無事、則職の元に返った。その後則職はお菊の事を聞き、その死を哀れみ、十二所神社の中にお菊を「お菊大明神」として祀ったと言い伝えられている。その後300年程経ってに城下に奇妙な形をした虫が大量発生し、人々はお菊が虫になって帰ってきたと言っていたといわれる。
小寺・青山の対立という史実を元に脚色された物と考えられている。
姫路城に「お菊井戸」が現存する。
と言う風に言われていますが、昨日今日のお城周辺の熱気でお菊さんもよさこいを踊っているかもしれませんね。
ちょっと不謹慎だったかもしれませんが、真夏の一大イベントである事には違いないです。
ちなみに加古川は毎年恒例の川祭りの花火大会です。写真が無くてすみません。
お城祭りの今日姫路に出向いて見ました。
色々な所に出店が出ていてとっても楽しい雰囲気の上にいたるところでよさこいの踊りが披露されていてとっても楽しい雰囲気になっていました。まさに姫路のお城を中心に真夏の競演といった感じがありました。

姫路城と言えば「お菊井戸」があります。皆さんもご存知だと思いますが姫路市の十二所神社に伝わる「播州皿屋敷実録」が原型とされる。
永正年間(つまり現在の姫路城が出来る前)、姫路城第9代城主小寺則職の家臣青山鉄山が主家乗っ取りを企てていたが、これを衣笠元信なる忠臣が察知、自分の妾だったお菊という女性を鉄山の家の女中にし鉄山の計略を探らせ、増位山の花見の席で毒殺しようとしていることを突き止め、その花見の席に切り込み、則職を救出、家島に隠れさせ再起を図る。乗っ取りに失敗した鉄山は家中に、密告者がいたとにらみ、家来の町坪弾四朗に調査するように命令した。程なく弾四朗は密告者がお菊であったことを突き止め、以前からお菊のことが好きだった弾四朗は妾になれと言い寄ったがお菊は拒否した。その態度に立腹した弾四朗は、お菊が管理を委任されていた10枚揃えないと意味のない家宝の毒消しの皿のうちの一枚をわざと隠してお菊にその因縁を付け、とうとう責め殺して古井戸に死体を捨てた。以来その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえたという。やがて衣笠元信達小寺の家臣によって鉄山一味は討たれ、姫路城は無事、則職の元に返った。その後則職はお菊の事を聞き、その死を哀れみ、十二所神社の中にお菊を「お菊大明神」として祀ったと言い伝えられている。その後300年程経ってに城下に奇妙な形をした虫が大量発生し、人々はお菊が虫になって帰ってきたと言っていたといわれる。
小寺・青山の対立という史実を元に脚色された物と考えられている。
姫路城に「お菊井戸」が現存する。
と言う風に言われていますが、昨日今日のお城周辺の熱気でお菊さんもよさこいを踊っているかもしれませんね。
ちょっと不謹慎だったかもしれませんが、真夏の一大イベントである事には違いないです。
ちなみに加古川は毎年恒例の川祭りの花火大会です。写真が無くてすみません。